天野さん@元東芝全体に公開
2007年12月12日15:42
中村修二みたいなことを始めたらしいが... 情報処理学会ではワープロ開発の功績で賞を貰ってたし、社内でもちゃんと評価されたただろうと思うんだけど、何故今頃こんなことを始めたんだろう。
http://www.asahi.com/national/update/1207/TKY200712070306.html

昔Xerox PARCにいた同僚に聞いた話:
* PARCではJoe Beckerという人物が1975年ごろ中国語の発音入力システムを開発した
* 1976年にはかな漢字変換システムというアイデアは日本でポピュラーになっていた
* 1977年にはAltoでかな漢字変換システムが動いていた
* 1978年に東芝のJW-10というワープロが出た時点ではまだXeroxのシステムの方が優れていた

1976年ごろは私は8008でマイコン作ってたのだが、そのころの東芝のマシンってどういう構成だったんだろう。

コメント

まえG2007年12月12日 16:02
一発当てる成果を出した技術者に大きな対価を支払って、業務で研究したけど大当たりにつながらなかった技術者に全く対価を支払わないのは、技術者にとって必ずしも得でないという話があるようです。(大竹文雄「経済学的思考のセンス」)

JW-10のハードですが、情報処理Vol.43, No.11, p.1224に簡単な説明があります。
CPU:約0.2MIPS
主記憶:64KB
ハードディスク:10MB
フロッピーディスク:250KB
ディスプレイ:12インチ、24x24ドットで32文字x14行
プリンタ:ドットマトリックス 24x24, 35字/秒

価格は630万円だそうです。
大富豪家2.02007年12月12日 16:09
お、何の特集でした? 結構高スペックですね。フロッピーは8インチ両面単密度てやつかしらん。ハードディスクまであるとは凄い。一家に一台は欲しいですねー。
みまぞう2007年12月12日 16:20
大きい机だったのでは?->一家に一台?
よしき2007年12月12日 16:22
Joe Beckerの話は聞いたことがあります。同僚さんのPARCにいた人ってどなたですか?

まえGさんの
> 一発当てる成果を出した技術者に大きな対価を支払って、業務で研究したけど大当たりにつながらなかった技術者に全く対価を支払わないのは、技術者にとって必ずしも得でないという話があるようです。(大竹文雄「経済学的思考のセンス」)

にかなり同意です。ベンチャーを起こしてやろうとしている人々から見れば、逆にリスクをとらずに成功したときだけ貰おうとしているように見えるわけでもあります。(アメリカの給与体系ではエンジニアでも日本に比べると手厚く貰っているので、辞める前にせめて、というような心の動きになりにくいという面もまたあるかもしれません。)
大富豪家2.02007年12月12日 16:25
Lee Collinsというオッサンです。奥さんが日系でPalo Alto市長らしい。
まえG2007年12月12日 17:14
>お、何の特集でした?

「日本の情報処理技術の足跡」という連載の
「漢字・日本語処理技術の発展:日本語ワードプロセッサの誕生とその歴史」 (天野真家・森健一)
です。
http://fw8.bookpark.ne.jp/cm/ipsj/search_test.asp?flag=6&keyword=IPSJ-MGN431113&mode=PDF

Beckerの研究に関しては、以下のような文献があるようです。
[1] "USER-FRIENDLY" DESIGN FOR JAPANESE TYPING, Joseph D. Becker, Xerox Office Systems Division Report No. OSD T8301, August 1983

[2] Typing Chinese, Japanese, and Korean, Becker, J.D. IEEE Computer Vol.18, Issue 1, pp.27-35, Jan. 1985

http://www.f.waseda.jp/buda/tjt/tjt-11.html には、[1]の紹介があります。
"The Japanese typing method for the JStar was developed in close co-operation between Xerox and Fuji Xerox from 1976 to 1982. According to the paper, the Fuji Xerox "80l2-J Star" system was demonstrated in Tokyo in October 1981, and came on the market in October 1982."
大富豪家2.02007年12月12日 17:20
なるほど... JStarってどんな入力手法だったかなぁ。
abee2007年12月13日 01:02
こんにちは。
J-Starは、画面に表示されたQWERTYの仮想キーボードをいくつかの領域に分割し(4行2列で確か8個)、それぞれに変換候補を割り当てて、対応するキーを押すことで確定していました。
表示順が固定になっているのが特徴で、慣れたオペレータは次候補を押す回数と位置を覚えることで高速に入力していました。
また、インライン変換はできず、固定されたTFA(Typing Feedback Area)で入力と変換を行っていました。
大富豪家2.02007年12月13日 02:23
おお、思い出しました。なんか今考えると謎の仕様ですねぇ。