増井俊之の「界面潮流」

「界面」=「インタフェース」。ユーザインタフェース研究の第一人者が、ユビキタス社会やインターフェース技術の動向を読み解く。

第45回 台所コンピューティング

2010年7月14日

(これまでの増井俊之の「界面潮流」はこちら

エクストリーム・アイロンがけ」(Extreme Ironing)というスポーツがあります。高山/極地/空中のような、ありえない場所でアイロンがけをすることを競うというもので、「アイロニング道」を極めようとする松澤等氏による書籍も出版されています。

エクストリームな環境で計算機を利用する「エクストリーム・コンピューティング」という競技も可能かもしれません。計算機は実際に様々な環境で利用されるようになってきているので、現在の常識ではエクストリームと思われるような環境でも、将来は計算機がどんどん使われるようになっていくことでしょう。

高山や極地まで行かなくても、計算機にとってエクストリームな環境があらゆる家庭に存在します。家庭の台所は、

  • 水だらけの場所がある
  • 火が燃えている場所がある
  • 氷点下の場所がある
  • 煙や湯気や油にさらされている場所がある
  • 変な虫が活動している場合がある

といった大変な特徴があり、計算機にとっては非常に苛酷な環境になっています。このようなエクストリームな条件のためか、台所で計算機を活用している人は今のところほとんどいないようですが、調理法を調べたり、作業中に音楽を聞いたりニュースを見たりするために、台所に計算機が有るといろいろ便利だろうと思われます。

台所コンピューティング

パソコンが使えない環境で計算機資源を利用するための「実世界インタフェース」の研究が近年盛んになってきていますが、台所や風呂などでも計算機を利用するための研究が長年にわたって行なわれてきています。

TRON電脳住宅

TRONプロジェクトで有名な東大の坂村健氏は1990年ごろに六本木にTRON電脳住宅を建築し、家庭における計算機利用に関する様々な実証実験を行ないました。Webが発明される以前のプロジェクトだったのでWeb上に資料がほとんど残っていないのが残念ですが、先駆的な有意義なプロジェクトだったことは間違いありません。

2005年の愛知万博開催にあわせて坂村氏はトヨタと夢の住宅PAPIという実験住宅を建築し、21世紀のIT技術を住宅に適用する例を紹介しました。台所に関しては、RFIDを利用した食材管理システムなどが提案されていました。

AwareHome

アトランタのGeorgia TechのGregory Abowd氏らは、大学構内にAwareHomeという実験住宅を建築して実世界インタフェースの様々な実験を行なっています。右側の写真は「Déjà vu Display」というシステムです。キッチンの柵の下のカメラが料理状況をすべて記録しており、料理の途中で邪魔が入ったりして手順がわからなくなった場合でも、どこまで処理したかを再生して思い出せるようになっています。

Kitchen of the Future

お茶の水女子大学の椎尾一郎氏と、はこだて未来大学の美馬のゆり氏は、複数のカメラやディスプレイを装備した「Kitchen of the Future」を開発して様々な実験を行いました。写真のシステムにはカメラとディスプレイが4個設置されており、足元のスイッチを使って料理の写真を撮ったり必要な情報を表示させたりすることができるようになっています。料理中の人は、コンロの前に行ったり水道の前に行ったり結構移動が必要なので、どこに行っても必要な情報を見ることができるようにするためにすべての場所にディスプレイが設置されています。また、このシステムはネットワークで接続されており、遠隔地からでも料理の指導ができるようになっています。

AR Kitchen

MITのメディアラボでは、Ted Selker氏のCounter Intelligenceプロジェクトにおいて、Leonardo Bonanni氏らが様々なAR技術を使った拡張キッチンの実験をしています。左側の写真は冷蔵庫やレンジフードの上にプロジェクタから様々な情報が投影された状態で、右側の写真は水道に仕込まれたLEDによって水の温度が視覚化されているものです。

Panavi

慶應義塾大学の生井みづき氏と瓜生大輔氏は、温度センサを内蔵したフライパンとプロジェクタを利用した料理支援システムPanaviを試作しています。計測されたフライパンの温度が投影されつつ、次の行動が指示されるので、温度調節が難しい料理でもうまく作ることができるようになっています。

なんちゃってサイネージ

どのシステムでも台所での情報提示には苦労しているようです。液晶ディスプレイやプロジェクタを自宅の台所に新たに導入するのは大変ですが、使っていない手持ちのパソコンのディスプレイをそのまま台所でうまく使うことができれば投資や工事を最小にすることができるでしょう。

下の図はネットブックを逆さにして柵に置くことによって簡易サイネージ風ディスプレイを実現した例です。WindowsパソコンではCtrl+Alt+矢印キーで画面の向きを変えられるようになっているものがありますが、上下逆に表示したノートパソコンを裏返して本棚や戸棚の棚板に設置すると、ただのパソコンを台所で活用できるようになるでしょう。

台所での計算機利用は便利なはずなのに、エクストリームな環境のため普及はまだまだで、炊飯器の制御に使われている程度かもしれません。機器の中でこっそり利用されるだけでなく、調理者が対話的に便利に利用できる台所コンピュータによって、台所での作業がもっと楽しくなってほしいものだと思います。

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プロフィール

1959年生まれ。ユーザインタフェース研究。POBox、QuickML、本棚.orgなどのシステムを開発。ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所、Apple Inc.など勤務を経て現在慶應義塾大学教授。著書に『インターフェイスの街角』などがある。

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批判すまいと思うものの、ここまでひどいと・・・。

WIRED.jpに寄稿しました。

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